バイトにて嫌になることとか責任とかを考える

 私はあるスーパーマーケット内にある子供向けゲームセンターで土日を中心にバイトをしている.昨日今日も勤務だったのだが,特に今日(8/6・日曜日)はひどかった.それぞれに事情があるのだろうけれど代役を立てずに休む同僚が多く,夜を中心にてんてこ舞いだった.一人は今まで隠していた病気が思わしくなくなったとのことでドクターストップ.一人は持病のため帰省するというファックスを残し顔も見せないらしい.もう一人は突然の体調不良だったようだ.

最初の二人について思うこと

 この二名それぞれの事情は知らないし想像もできないので,私は何も言わない.ただ,店長も言っていたように,事情と経緯を説明せず,何の対策もとらず,ましてやファックス一枚で済まそうとしたことはどうかと思う.できないならできないなりのけじめのつけ方があると思う.私に言えることはこの状況で自分ならどうするかということなので,主体的(この二名の立場),客観的な場合(三人目の立場)に分けて考えてみる.

自分が主体者としたらどうするべきか〜二名の立場と自分の過去の経験と照らし合わせて考える

 私も似たようなことを大学で経験しており,今でも思い出すとどうしようもないような気分になる.前の研究室を退去するとき,これまで先生に迷惑をかけたことで私は謝ることしかできなかった.最初は,どんなことをしても責任を取れないという絶望的な考え方でどこへも動けなくなっていた.でも最後には,できるだけの説明責任を果たした後は何もできることはないのだから,あとは自分の領域ではないと限界以上の責任を放棄することにした.先生には「悪い学生にあたって運が悪かった」とでも思ってもらうほかはないが,ここで線を引かなければ私は本当にどこへも行くことができなかっただろう.
 先生に悪い点は一つもなかったので本当に申し訳なくて心苦しく,これが無責任といわれれば甘受するしかないが,できることそしてやるべきことはしたつもりだ.だから,私は今,ここに来ることができたのだと思う.これからは,このようなことが起きないようにするのはもちろんだが,何かあったときに少しでも尻拭いができるように努力しなくてはならないと思う.

自分はどのように客観視すべきか〜三人目の立場に立って考える

 もう一人は体調不良で休んだにも関わらず「人がいないから来てくれないと困る」と言われ,気の毒だった.本来なら「仕方ない,お大事に」で済むのに,運が悪かったのだろう.もしも私がこのような状況だったら,「今日は雨降りだったんだ」と思えるようになりたい.私は最近,何か良いことがあっても悪いことがあってもただ雨に降られているように感じる.今日などは人とすれ違ったり何かを見たりすると雨粒に見えたほどだ.各々の存在は全て一粒の雨水で,それらは降り,降られて成り立つ.
・ある物事は自然に生起するもので人の意思とかは関係なく,つまりそれを体現するのが誰であるにしても同じこと.
・起こるべきことが今起きてもはるか先でもすでに終わっていてもいつでも同じこと,起きなくても別の意味で代替され(嫌なことが起きなかった,しかしいつか起こるだろうという不安にさいなまれるなど),かたちを変えるだけで同じこと.
この二点は今の私の世界観だが,こうやって文字にしてみるといつか読んだ小説の登場人物の言っていることにそっくりで驚く.かなり考えた末の過程なのだが,この一致は面白い.まとめると,人為だろうと天意だろうと全ては自然現象なのだと思う.雨は災害を引き起こし日常でも煙たがられる存在だが,その根本的な意味は恵みである.そして,生きる限り雨は降り続けが,望めばやさしい雨が降る.

余談

 ・・・あとひとつ.先の二名のような従業員のいい加減な対応は従業員だけの問題ではないと思う.バイト先の店舗も含めてこの会社の現場はパート・アルバイトがほとんどだが,非正規雇用が増加する現在,このような形態は今後さらに増えるだろう.おそらく,帰属意識の希薄な非正規雇用の身軽さはこの手のいい加減さを助長するのではないか.今日の店長のように会社は従業員に道徳を求めるが,従業員がそれ相応の待遇を得ていると思っていなければ,素直にうなずけないかもしれない.
 こんなことを書いておいて何ですが,最後に,私がとんでもなく自己中心的で他の人のことなど自分の利害計算の中でしか考えない人間であることを付け足しておきます.