罪を憎んで人を憎まず

もうじき見えなくなる


 以下,だいぶ前に考えたこと.
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 罪を憎んで人を憎まず.人間は端末のようなものだ.ディスプレイに表示された事象について人々は何かを思うにしても,それはディスプレイ自体のためではないだろう.
 雑多なアプリケーションがプリインストールされたパソコンって好きじゃない.ハードディスクを圧迫する上に勝手に常駐する,ほとんど使わない機能たち.ひょっとすると人間は,そんなものに過ぎないのかもしれない.個々の人間の特性〜個性とは,あらゆる可能性の中から具現化したいくつかの特性の集合.可能性とは,はじめから用意されていたのかもしれず,その意味では性悪説なのかもしれない.
 凶悪な事件が起きたというニュースにもあまり驚かない.ある端末によってひとつの可能性が具現化しただけのことと思ってしまうから.歴史は自身の意思で歴史を記す.歴史,この恐るべきもの.良かれ悪かれ,時は過ぎる.進化という名の,絶対意思.憎むべきは歴史なのか.しかし,「絶対」とは,どこにも存在しないもの.絶対意思である歴史とは,ひとつの端末がエミュレートしたイデアでしかない.真実など,どこにもない.あるとすれば,「信」実だろうか.
 でも,信じるものは別に救われない.何を信じるにしても,最後に責任を負うのは,自身.憎むべきは自分自身.自身を信じることができない私は,信じることを,やめてしまいたい.
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 眠い,空腹,やることたくさん.生きていることを実感する.