永久機関あるいは宗教

 以前,「・・・定期的にエネルギーをつっこまれないとそれが無くなってしまう」と友人に言われたことを思い出した(詳しい内容は割愛).今日そのことを思い出したが,ふとそれが,「へその緒」が切れていない状態,つまり自給自足できていないことだと解かった.たとえば,何か自分にとって良くないことが起こると,そのことが自分を萎縮させ,一人では何もできなくなること.このような過程で最終的に再起不能に陥った状態が,「死に至る病」,「絶望」なのかもしれない.しかし,一度萎縮したとしても,そこから何かを引き出すことができれば,確実に次へ進める.
 へその緒を切って自給自足する,それは,自分の中にある種の「永久機関」を持つイメージ.この「永久」は,絶え間ない循環という意味で使いたい.失敗はやはり「良くないこと」でありマイナスなのだが,そこから自分の特性や世の中の仕組みについて学習できればマイナスでも大丈夫なのだ.出来ること出来ないこと,なれるものなれないもの,好き嫌い,向き不向き,価値観・・・つまり何が望みなるのかという問題であるが,それを踏まえて,次に何に出くわすか分からない現実の中でどのような選択をしていけばよいか,それを常に模索し続ければ,一歩の前進の可能性が生じる.そして,成功でも失敗でも結果をフィードバックすれば,それはすでに一歩の前進だ.つまり,どのような結果になっても循環が発生し,自らを進歩せしめる.
 それに対して前者は,ただただスパイラル的に堕ちていくのみ.だから,何らかのエネルギーを外部的に注入されることで押し上げねばならないが,そこに宗教が登場する.何らかの絶対性をエネルギー源として,さまざまな工夫(教義,儀式など)を凝らし,対価(「信」,布施など)さえ支払えば毎週でも供給してくれる素晴らしいシステムがすでに多数構築されている.完全な「永久機関」を持つ人間はそれほど多くないと思う.無宗教な現代人といってもほぼ例外なく何らかの「外部電源」に頼っているはずだ.
 恐らく実際の永久機関と同じで実現はほぼ不可能だと思うが,自前で機関を建造し,毎日点火回転(前進)させ,維持管理の継続(フィードバック)を怠らず,燃費向上(効率化)・出力向上・軽量化(シンプル化)を図り,できるだけ多くの燃料に対応することで自分というものをしぶとくしていきたいと思う.
 ところで,成仏とか解脱が永久機関に近いかと思ったが,これらは輪廻というほぼ永遠の循環から抜け出すことなんですね.最終的には「回らんでも大丈夫だ(=完成)」となるのが最強ということなのかもしれない.完成が有り得ないというのはあくまで現状(凡夫または悪人などと呼ばれる状態)での「99.9%は仮説」だというような話なのだし.永久機関完成も有り得る.宗教になりつつあるのでこれで終わりにする.