断片集

 客観性を求めるって,宇宙船で地球を眺めるようなものなのかもしれない.非常な努力が必要であるにも関わらず,宇宙から見れば人間はまだ地球から少しジャンプできるようになった段階.自分を対象として眺めるということは,大変だ.
 自分の名前は,自分以内(=自分あるいは「世界」とよばれるもの)と自分以外を隔てる境界であり,名前はある意味で制約なのだろうと思う.制約のない自由の不自由さは突き抜けてしまったそして突き抜け続けている「超越」であり,それはあこがれの対象であっても願うことのない場所.

 鈍さは感覚でなく注意深さの責任だと思う.私は何かにつけて鈍感だが,それを五感にそしておそらく第六感にも押しつけるべきではない.装置が使えないのは装置の責任ではない.これらの機能はそれ相応にできあがっているもので,ユーザである私が使いこなしているかどうかが問題なのだ.その意志の顕れが「注意深さ」なのだろう.

 最近,面白い夢をよく見る.この間は山から町に巡らされたリフトの軌道(?)を辿る冒険譚的な夢に熱中して寝過ごしてしまった.そんなことが多い今日この頃.