自分のためと誰かのためを一致させる

 家庭教師先のお宅で食事をいただきながら考えたこと.それらしい単語を使ってまとめておく.
 私の場合,誰かに親切にしようとする意志の裏には打算的な思惑がほとんど必ず存在している.自己愛からは逃れられない. しかし,そんな私にも,素朴に相手を思いやる気持ち,「隣人愛」は自然な感情として存在していると思う.おそらく,隣人愛などといった概念にもとづく行為が道徳的だと言われるのだろう 私の中で道徳は自己愛を超えることができるのか?.自分は確かに自己愛にまみれているが,それでも道徳的な側面は確かに存在している.自分のことを考えて行動することは仕方ないとして,まずは,それが誰かのためになるように,だれかの足を引っ張らないようにすることが必要だ.今さら気付いたかと言われそうで情けないが,仕方ない.これからはそれを意志したい.
 しかし,これもいずれ単なる自己の正当化だと批判せざるを得ないだろう.煩悩即菩提というが,何と遠い道のりだろう.