花を惜しむ

 履歴書に詩吟について記入したが,来月参加する邦楽鑑賞会で吟じる漢詩について思うこと.

花を惜しむ  福沢 諭吉
半生の行路苦辛の身
幾度か春を迎えまた春を送る
節物は惣々として留むれども止まず
花を惜しむ人は是れ霜を戴くの人

 福沢諭吉がどのような思い出この詩をつくったのか気になりWikipediaを参照してみたが,ほとんどやることはやり尽くしたのではないかというほどの業績を残している.それほどの偉人でもこのような感慨を持つのかと思った.いや,偉人だからこそ余計にそう思うのかもしれない.
と,ここまで書いておいて何だが,私がこの詩に対して抱いていた「少年老い易く学成り難し」という意味は違うのではないかと思い始めた.若い頃は良かったと単に回顧しているわけではなく,若いときにしかできないこと,がむしゃらに何かを成し遂げるなど,若さゆえの実りを回顧しているのだとしたら,どんな人にも共通してくる思いだろう.何かで読んだが,「青年時代は勝つことを考えればよいが,壮年時代からは負けないように守りを固めねばならない.」という意味の言葉にも通じるものがある.花は咲いた後に散ることを許されるが,それを支える幹はそうはいかず,そして表面的には見えない根はなおさらだ.思えば,私はまだ花の一輪も咲かせていない.「世界に一つだけの花」ではないが,私なりの何かを成し遂げたい.

最後に.
南行 細川頼之
人生五十功無きを愧ず
花木春過ぎて夏已に中ばなり
滿室の蒼蠅掃えども去り難し
起って禪榻を尋ねて清風に臥せん