輪廻転生という方便について
輪廻転生は仏教以前のバラモン教の思想から来ているらしい.今,寝付けずにあれこれ考えるうち、この思想も方便なのだということに思い至る.
表現し難いのだが,空間的,時間的に自他と自己は一続きであり,しかも存在などといった形の有無を問わず,どうしようもないくせにお気に召すままにと言われるような何かを感じる.この私はその状態の現れの一つ,いわば端末に過ぎず,消し去ろうとしても,形を留めようとしても,いずれは変化してゆく流れそのものであることはどうしようもないという少々絶望的な感覚だ.
例えば「生まれ変わらないように」などと願うように輪廻転生にとらわれる必要はないことになったが,問題はより大きくなったようだ.