鬼と人と

 堺屋太一氏の歴史小説「鬼と人と―信長と光秀」を読んだ。この小説は、織田信長明智光秀が交互に同じ物事に対して独白するという独特の形式をとっている。物語の時間進行は武田征伐から山崎合戦までだが、それ以前の出来事についてもそれぞれの回想として語られている。以下、感想と言うよりはメモ。
 信長は陽性の人物である。常識にとらわれず先見性に富む。他人に対してドライだが才能の多寡だけにとらわれず、きちんと考えている。また、使い捨てということも基本的にしない。部下を責めることもあるがその人物を認めている場合は戯れ言が勢い余ってであり、陰湿という印象はない。怒りながらも心中冷静で部下に落としどころを求めている。物語終盤で、光秀が自らの天下構想を理解できていないとし、「ただの人」と嘆いた。
 光秀は陰性の人物である。平時の人物と規定されているがそれは常識、協調を重んじるという意味であり、戦国乱世の部将としてきわめて優秀な人物である。基本的にどの場面でも節度を失わない。信長の怒りを買ったときもそうであり、それがかえって不興を買う。織田家における自らの将来を悲観するようになり、物語終盤で恐怖と怒りなどのために感情が理性を上回り、信長を残酷な「鬼」であるとして倒すに至る。
 同じ物事に対する両者の考え方が時に真逆になるなど、その違いがとても面白い。最終的に両者は鬼または凡人という自らとは異質な存在という認識に至るまですれ違い続ける。信長は自分よりレベルが低い人物として光秀を理解したからこそ凡「人」としたのだろうけど、光秀は恐らく恐怖が先走り信長を理解できなかったために理解不能な「鬼」とせざるを得なかった。このような枠組みを自分自身の日常に適用するといろいろと考察が出来そうで興味深い。無能な人間にとってこの世は鬼だらけである。ただし、鬼とは理解不能な存在に過ぎず、即座にとって食われるとは限らない。

鬼と人と―信長と光秀 (上巻) (PHP文庫)

鬼と人と―信長と光秀 (上巻) (PHP文庫)

鬼と人と―信長と光秀 (下巻) (PHP文庫)

鬼と人と―信長と光秀 (下巻) (PHP文庫)