帰省

中央構造線の谷と青崩峠


R152(秋葉街道)

 8月第4週は帰省に充てた.初日,豊橋を10時に出発,R152を(ほぼ)完走するべくまず浜松へ向かう.浜名バイパスを降りてR257で浜松市街へ向かい,市役所前からR152を北上する.浜北付近ではバイパスになっているためか,以前利用した笠井街道と比べても流れが良い.鹿島橋南で笠井街道と合流し二俣を抜け,船明ダム,秋葉ダムの湖面を横目に快走,旧佐久間町域(現・浜松市)に入りR473と分岐する.この天竜川に寄り添う区間は一度南下したことがあるが,北上するとまた違った趣きがある.秋葉山へも行ってみたいので,また訪れたい.
 さらにR152を北上すると旧水窪町域(現・浜松市)に入るが,急に「酷道」的な雰囲気になる.山間部ながらにぎやかな印象のある市街地を抜け,さらに北上すると三遠南信自動車道青崩峠道路(草木トンネル)に至る.トンネルを抜けると「点線国道」区間を迂回する兵越林道に入る.舗装こそされているが1車線の悪路をアクセルべた踏みで何とか登っていくと,案外あっけなく兵越峠(ヒョー越)に到達する.今回は初めて道路経由で水窪の街に辿り着いたが,南北いずれの入り口もかなりの悪路である.R152では天竜川並走区間を中心に道路改良が行われているが,さらなる改良に加えて三遠南信道を整備する必要性を改めて感じた.大合併で静岡県内のR152は全線が浜松市内になったが,走ってみると非常に広大であり,道路が良くないこともあり実距離以上に時間距離を伸ばしているような気がする.一つの市としてまとまっていくためにもやはり交通の改善は必須だろう.
 峠で一休み.素人である私は感想だけに留めるが,この谷を辿って点線国道が目指す「青崩峠」およびこの兵越峠についてはいろいろなウェブサイトで紹介されているのでとても参考になる.兵越峠の旧南信濃村(現・飯田市)側はつづれ折りで中央構造線がつくった断崖を下っていくが,この谷を眺めると青崩の名のとおり山腹が崩れ露出した青っぽい山肌をさらしている.このように脆い谷を避けた結果がわざわざ急勾配でとなりの尾根を登る兵越峠なのだろう.何度もヘアピンを繰り返して集落を抜けると,国道と合流しやがて旧南信濃村の中心地・遠山郷に至る.R152はこのまま旧上村(現・飯田市)方面,さらに中央構造線に沿って北へと続く.しかし,この道の南部区間の旧称・秋葉街道は旧上村からR152の現道からそれて小川路峠を越えて飯田に至る街道であった.現代は三遠南信道・小川路峠道路(矢筈トンネル)がこれに代わり飯田へのハイアクセスを提供している.旧飯田市と旧上村・旧南信濃村伊那山地で隔てられており,このトンネルがあればこその合併だったと思うが,どうも違和感がある.

県道1号〜18号

 さて,ここから北は旧高遠町まで原付で走っているので,一度R152を離れて天龍村・平岡まで遠山川に沿って下る.ここからは県道1号を辿る.この道の平岡以南は以前に原付で走っているので,飯田まで走れば1号も完走となる.阿南町・温田までは天竜川に沿っている.思いのほかカーブが多く,疲れる.温田の街を抜けると丘の上にある泰阜村の中心地までひたすら登る.泰阜以北は一部に悪路が残り思いのほか時間がかかったが,飯田には14時に到着.
 飯田市街には向かわずに天竜川左岸を走り,県道18号で喬木村豊丘村などを通過,松川町から中川村に入る.ところが,中川村〜飯島町駒ヶ根市のこの道は一部を除き天竜川沿いの絶壁を削ってつくったような1車線道路が延々と続き,対向車もそこそこ多く難儀した.この地域の集落は天竜川から離れた河岸段丘(特に右岸)の上に多く,天竜川はその段丘の最も低いところを削るように流れており,川沿いに道をつけるのは非常に困難だ.この付近が河岸段丘が発達していることは知識として知ってはいたが,地図からこのような状況を想像することはできなかった.一見は百聞にしかずとはよく言ったものだ.これで少しは土地勘もついたことだろう.
 さらに18号を北上するが,駒ヶ根市以北は快走路である.県道1号もそうだが,このような長大な路線は都市間を結んでいても幹線道路でない場合は必要性によって行われる道路改良に差が生じ,区間ごとに流動が分断され,結果として都市間交通を担えないような路線になってしまったのだろう.弱番といえど,油断大敵だった.火山峠という緩やかな峠を越えて伊那市三峰川扇状地に降りたところで旧高遠町(現・伊那市)へ向けて右折し18号に別れを告げる.思えば伊那市辰野町を結ぶ県道19号と併せて伊那谷天竜川左岸をほぼ通過したことになる.右岸はR153で南下したことがあるので,かなりいろいろな道を見れたことになり,悪路でも利用して良かった.

R152(杖突街道・大門街道)〜県道35号

 16時頃には高遠の街で再びR152に復帰し,杖突街道と呼ばれるこの道を北上.前が見えないほどのひどい雨が降る.後でテレビで降水量を見たら赤く表示されていたが,一体何ミリ降ったのだろう.それはそうと旧高遠町域ではJRバスを良く見る.歴史的な経緯なのだろうけれど,R152南部の天竜本線の現状を見てもこれからどうなるのだろうと思う.杖突峠に到達,茅野市を眼下に望むが,八ヶ岳方面は雲しか見えない.あっという間にR20に出る.市内を横断して再びR152に復帰したが,有料道路だと思っていたR152・茅野道路は無料であった.うーむ.
 茅野市内のR299との共用区間を抜けてR152・大門街道を北上,久しぶりに白樺湖を見る.大門峠を抜けて小県郡長和町に出る.旧長門町と旧和田村の合併により成立したが,小県郡の町村はこの長和町と青木村のみ.市街地を中心として自治体が合併を繰り返して「市」を名乗り広域化している現在,「郡」の存在意義はもはや消滅したのかもしれない.長野県は水内,更級,高井,埴科,小県,佐久,安曇,(東)筑摩,木曽,諏訪,伊那の各郡に分けられる(はず).谷あいを平行して流れる中小河川流域からなる地域が主体の小県,佐久,木曽,伊那は幹となる千曲川木曽川天竜川を中心とした流域が郡になっているのに対して,水内,更級,高井,埴科は千曲川および犀川で,安曇,筑摩は犀川梓川)で隔てられ,流域を半分に分割している.これは,接する河川が大規模で両岸の交流が希薄だったためだと思う.現在は土木技術の発達により交通網が発達し都市が河川を越えて広がるようになり,特に後者のような郡は生活圏と一致しなくなってきた.そのために郡は有名無実化してしまったのだと思う.諏訪郡諏訪湖を中心とする地域であり現在の生活圏と一致するため違和感はないが,市部が拡大し飛び飛びに残るのみである点は後者と同一だ.結局,前者のような比較的山間部が多い地域が人口の有無にかかわらず郡として形を残しやすいのかもしれない.

 上田市に入り,旧武石村,旧丸子町の地域を通過,大雨に降られつつ車は進まない.18時過ぎに大屋のR152終点に到着,ようやく(ほぼ)完走し終えた.ここからR18を横断,直進して県道35号へ入る.この時間帯のR18は上田市千曲市にかけて混雑が予想されるので,新地蔵峠を迂回して直接長野市に入る.関係ないが,「更科(さらしな)」は,「更級(さらしな)」と「埴科(はにしな)」を併せた地名だそうで,千曲市が成立する前に市名を決定するために住民投票が行われたがその候補が千曲市とこの「更科市」だった.千曲市中心部の旧市名である「更埴」もそれは同様なのだが,「更科」では読みが「さらしな」であり,新市名に採用されなかったのも今更ながらうなづける.さて,日もほとんど落ちた峠道.この道はよく父の車で訪れたがとても久しぶりで,懐かしかった.溶暗しつつある故郷の山並みを眺めつつ,松代の市街地へ下る.相変わらずの長野市内を通過し,20時前に実家に到着.これだけ遠回りして約10時間なら,上出来か.