私の「自由」の名の下で


 バイトでは愚痴ばかりこぼしていたが,今日はそれによる自己嫌悪だけでなかった.自分はクズだということを再確認する大変有意義な体験をした.パートの女性とある客について話をしたところ,「女が男を選ぶとき,10代のうちは見た目で,25くらいになってから中身で選ぶようになる」というようなことを聞いた.これがこの人の話なのか一般的にそんな傾向があるのかは知らないが,それは置いておく.私は2,3年前くらいまで,自分には欠点もあるがそれでも真面目で善良な人間だと思っていた.しかし,この地で苦楽ある学生生活を送り,友人とクズだボトムだと言い合いながらいろいろと考えてきて,そして今,自分の中身について改めて問われると,外見はともかく中身は人に見せるわけにはいかない得体の知れない化け物だと答えざるを得ない.
 しかし,さらに言うと,化け物とはいってもそれはいつの間にかつくり上げてしまった自分のかたちに過ぎない.「中身」と呼ばれるそれは無に帰るべき存在であり,結局はどこまでも空っぽなのだ.今日の朝刊はオウム真理教教祖・麻原氏の死刑確定で埋まっていたが,「生きる意味を求める若い信者」などという記述が所々に見られた.しかし,私にとっては生きる意味などはない.突き詰めていけば空っぽであり,その行為は有意義だが無意味.ただ,空であることに価値がある.だからこそ,思ったよう自己を実現する真の意味での自由を獲得できるのだと思う.しかし,この自由は重い.正直,逃げ出したくて仕方がない.自己の消滅を望むことは,自由の意味を勝手に変えてしまっているのか,しかし,根拠はない.自由なのだから.
 不完全な固体である自分が自らに由るという行為を繰り返すのではなく,自分という枠を取り払うことで私はひとつになることができる.自分を殺すのではなく,自分を消すのではなく,自分を同化させるというか,還元するという感覚.その対象を求めて私はこれからも自由の名の下で彷徨い続けるのだと思う.