幸せになりたいですか?

 久しぶりにNから電話がかかってきて,話をする.

「パチンコ攻略本の必勝って,必勝じゃないじゃん」
 全くその通り.必勝と信じるところに初めて価値が生じる.教典とかの類も同じだろう.むしろ,そのようなブラックボックスを含む方が,信じるという最終的には盲目的な行為に力を与えるのだろう.

「勝ち負けは演出で,勝ちは負けによって与えられる」
 わかっているならやらなければいいのに,そう思いつつやる自分は大馬鹿,だそうだ.パチンコ屋さんという場所で確率を支配されたゲームをするということは,生きるということとそう違わない気がする.

「給料を出すから俺の代わりにパチンコしてくれないかな」
 そこで発生する給料は生産的な活動を尊ぶ我々からするとそれはあぶく銭に過ぎない.さて,生産的であることに意味があるのか,その成果である生産物に価値があるのか.「人生に意味があるのか」とは陳腐ながら切実な問いだが,さてどうだろう,これは問題として成り立つのか.意味は見いだすものであり,与えられるものではない.だから,その有無には答えが存在しない.価値もそれに近いだろう.絶えざる進化を宿命づけられた生物の一員である以上,改めて問う必要もないのかもしれない.

 目の前を車が走る.ロードサイドのファミレスは深夜まで煌々と客を受け入れる.パチ屋の電飾は眩しくけばけばしくも楽しい.家屋には明かりが灯り家族の談笑が聞こえてきそう.そんな夜もすぐに明けて,一日が始まる.信用,契約,お金,権力などという約束事の上にあぐらをかいてこの世の中は継続し続けている.もしも,そんなものを繋ぎ留める約束手形のようなものがあったら,ビリビリに破ってみたい.そうしたら明日はやってくるのか?人間はどんな姿に変わるのか?自分はそこで何を思うのか?気になるなあ.

さて,いま私はこう問いたい.「君は幸せになりたいですか?」
 「幸せ」という字は,土の下に何かを埋めているように見える.または,地面の下は土で満たされておらず,大きな空洞が存在しているようにも見える.薄氷を踏む思いで,しかし,その下の冷水のことを忘れたように毎日を過ごすということか.それが強さなのか鈍さなのかとは,結果的にどちらでもいい問題かもしれないが,天と地ほども離れている.本当に幸せになろうとすることは,実に難易度が高い.それでも幸せになりたいですか?